シアトルサバイバル生活、シーズン2強制突入。

「シアトル5人家族サバイバル生活記」

何という因果なblog名だったのでしょう。3月末の帰国に備え、あとはゆったり観光したり知人との別れを惜しんだりといった生活をする予定だったのですが、コロナウイルスは私どもの生活を一転させました。我が家のシアトルサバイバル、まさかのセカンドシーズン入りです・・

日本の皆様も緊張の日々を送っておられることと思います。そんな中で需要あるかはわかりませんが現在進行系の近況報告をさせていただきたいと思います。なお、日付はうろ覚えです。

3月初旬

日本の学校が休校と聞き唖然としましたが、「対岸の火事」とはまさにこのことで、まだシアトルは学校が営業しているから、こちらにいたほうが子どもには良い、くらいの判断でした。

この辺で、どうやらアメリカでもコロナが出始めたらしい、しかもそれがシアトルのあるワシントン州発である、ということが認知されてきます。

3/6

私がワシントン大学で行っていた研究は、小学生向けのプログラミング言語に関するもので、次の週に小学生を対象にした集大成的な実験を計画していました。しかし昨今の状況を踏まえて実験は中止。私の研究は中断を余儀なくされました。実験して、論文を書いた状態で帰国したかったのですが・・残念!
でも、特に義務や期限のある研究ではないので、また世界が正常化したら続きをやりたいと思います。またシアトルに短期で戻る口実ができたかな、くらいのポジティブな気持ちです。

このへんでワシントン大学もすべての残りの講義と試験をささっとオンラインに移行しました。実際機能しているのかは不明ですが、こういう時に備えてちゃんとインフラ整備していることに感心しました。

3/7~3/10

街では特にアジア系の人たちが本国の影響でコロナを恐れていて、マスクや米、なぜか豆腐などがスーパーで売り切れていることがときどき起こるようになりました。この騒動はだんだんたくさんの人々に伝播して、いろんなお店でいろんな食文化の主食がなくなったりしていきます。アメリカ人も、パニックになって買い占め騒ぎがおきるのです!
そしてパニックになると、アメリカでは食料以外に銃が売れます。Oh...
我が家はそれなりに備蓄があるので、とりあえず3月中くらいは物資は持ちそうです。

当初の予定では妻だけ3月中旬に帰宅し生活の立ち上げをし、私と3人の子どもたちは2週間父子でサバイバル(今考えると生ぬるいサバイバルでした)して、月末に帰国、というプランでした。しかし、先行き不透明なのでせめて家族で一緒にいるようにしようと思い、妻の航空券を変更し、月末の私達の帰国に合わせました。
行きの飛行機はデルタ航空でしたが、帰りは偶然JALで取っていたのです。単になぜか安かったからですが、これは非常に幸運でした。交渉は日本語でできるし、対応が丁寧だし、JALなら最後まで日本人の私達に寄り添ってくれるだろう、という安心感が持てました。この航空券変更はJALの方針で無料で行えました。JALへの電話は30分くらい待ちました。アメリカの電話はだいたいの場合月額固定料金だけで通話料が無料なので、経済的な意味ではいくらでも待てます。
デルタはシアトル大阪便を辞めてしまったので、関西系のサバティカル友人は結構困っていました。

3/11~

突然「明日から少なくとも2週間休校です」と教育委員会から通知。おそらく3月中に復旧はないと判断し、その日のうちに小中学校で友人や先生方とお別れの挨拶をしました。
これにより、少なくとも子どもたちがなおシアトルに滞在する積極的な理由はなくなりました。私自身が業務上1年の滞在を予定しており、1年未満で帰国する場合には各種事務手続きあるいは確認作業が必要であったため、しばらく状況確認に右往左往します。

学校では日頃からオンライン学習を取り入れているので、自宅待機時もそれらを活用する教材のおすすめが先生からメールで届きます。しかし先生はあくまで「おすすめ」するだけです。どうやら自宅でのオンライン学習は家庭環境によってインターネット環境が不平等だったりするため、格差があることに懸念を示す声があるようです。
また、学校は貧困層に健康な食事を提供することも重要な使命の一つであるため、休校でも市のいくつかの拠点学校では無料の昼食を提供しています。

その後,ごく親しい方々とささやかなお別れパーティを開き、今後のことについていろいろアドバイスをいただきました。持つべきものは友よ・・

ワシントン州は外出を非推奨にし、大規模集会を厳しく禁止し、すべてのレストランはイートインが禁止になりました。日々社会の機能が制限されていく中で、決断の時が来ます。

私は(手続き的な問題がクリアになっていないので)もうすこし残らないといけないのですが、家族を先に帰国させることにしました。JALへは合計3時間くらい待ってようやく電話が繋がり、事情を説明して再度航空券の変更をしてもらいました。JALもさすがに便を半分に減らしたらしく、残りの便は混雑気味でした。なんとか3/22の便を押さえることができました。
JALのオペレータの方も大変だと思います。頑張ってください。
次いで、帰国日に大量の家財道具荷物を成田から運ぶべく、親兄弟に連絡をして都合をつけてもらいました。ありがたい。

ここから妻子の帰国までわずか6日。大急ぎで帰り支度をします。
その間、アメリカは特定の国からの渡航を禁止したりしてきており、いつ日本も対象になるか、そしていつ空港自体をストップさせてしまうか、ヒヤヒヤしております。

3/18

外務省海外安全情報が「全世界」をレベル1に指定。はじめて見ました。
https://www.anzen.mofa.go.jp/covid19/info0318.html
これまではアメリカではワシントン州だけがレベル1だったのですが、これで世界中どこでも同じになりました。

3/19

私も諸々確認が取れて、早期帰国が可能になりました。再度JALに電話し、1時間ほど待って飛行機のチケットを変更しました。直近で取れたのは3/26のチケットです。5日しか前倒しにできませんでしたが、意味はあると信じたいです。

午後、アメリカ政府が自国民に対して海外渡航中止を勧告しました。また、 カリフォルニア州で外出禁止令がでました。国全体に広がるのでは、という噂もあります。

3/20

そしていまココ、です。

まずは3/22まで持ちこたえて、妻子を送り出せればというところです。その後は私一人ですからなんとかします。

無事帰国するまでがサバティカルです! つづく!




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