大総括、シアトルで1年過ごして。


今、広くてなにもない我が家に一人いて、窓の外のシアトルの景色を眺めながらこれを書いています。
波乱の真っ只中にはありますが、この突発要因を除けばとても有意義な滞在でしたのでちょっと総括しておきたいと思います。帰国したらまた慌ただしくなることと思いますので。自分の思い出を記録する意味が大きいので長大になりますが、どうぞよろしくおねがいします。

端的に申しまして、シアトルでの生活は大変素晴らしかったです。長い冬場の天気があまり良くないこと、そして物価が高いことを除けば。天気と物価は慣れてしまえば麻痺してあまり意識しなくなってしまうので、感覚的には快適に1年を過ごしました。特に嫌な思い出もなく、晴れやかな気分で帰国できます。(注:天災は世界的なものなのでここでは考えないことにします。)

まず全体的な雰囲気から。
シアトルの文化的な多様性の著しさはとても未来的で、一つ一つの異文化に触れることは刺激的でした。たとえばりんごにピーナツバターつけて食べる人々がいるし、娘には中南米やアフリカ出身の友人、妻には中東出身の友人ができました。ちょっとすごいですよね。
一方で、そのような多様性の中だからこそ、巡り会えた日本人同士は結束し、助け合えます。

・せっかくアメリカに居るのだから、身も心も多様なアメリカ的な人になろう
・すべて日本人コミュニティに身を委ねて、なるべく日本と同じ価値観で過ごそう。

後者はよく「駐在妻コミュニティ」なるところで垣間見られる世界です。私たちはせっかくアメリカに来たのだから、と気を張ってなるべく前者を目指しておりました。しかしわかったことは、「シアトルの多様性は味わい尽くすには多様すぎる」ということでした。食事で例えるなら、ビュッフェ形式のレストランに行くと、ついつい全部の料理を試そうとしてしまう私なのですが、アメリカはそれをやるには料理(つまり文化)が多彩で種類が多すぎたということです。中にはさすがに口に合わないものもあり、またどうやって食べていいのかまったくわからないものもあります。そういうものは、リスペクトはしつつも自然と諦めました。「多様性を味わい尽くさなくてもいいんだ、この多様性の中で、快適に生きればいいんだ」と悟ったときは、なにか呪縛から解き放たれた感じがしました。適度に多様性と付き合う。そして日本人コミュニティや日本文化のお世話になるときは、遠慮せずお世話になる。要は距離感の問題で、ちょうどよく多様性と純日本の間で位置取りすればよいだけでした。見渡せば周囲の移民的な人々もそうやって生きていました。

このような多様性の中で、シアトルに住む人達が共有する空気感があります。これはアメリカ気質というものかもしれませんが、どんな人でも歓迎しよう、誰にでも笑顔で接しよう、困った人がいたら助けよう、という気風です。私達のようなvisitorから成り立った社会であるアメリカは、言葉もおぼつかない新参者に、「あなたこそがアメリカだよ、ようこそ同胞。」と言わんばかりの情熱で、気後れしてしまうくらいさまざまな施しと支援をしてくれます。シアトルが豊かな都市で、だからこそ理想主義的なことが実現できているのかもしれませんが、「アメリカの兄貴、やっぱアンタはすげえよ。」と感嘆するばかりです。

治安について。
銃犯罪も時々起こりますし、日本よりも治安は悪いのでしょう。ただ子どもが外出するときは親がかならずつきそい、基本車での移動です。また家族暮らしですと夜は外出はしません。ですから犯罪が多いということにあまりピンときませんでした。それよりも、車社会における交通事故のほうが可能性がずっと高いと思います。仮に自分が運転上手だとしても安心できません。シアトルの人たちは運転マナーについては仏のように優しいですが、あまり運転がうまくないです。私はこの1年で停車時に後ろから2回、軽く追突されました。事故後の保険まわりの交渉は面倒この上ないです。

ワシントン州は大麻の使用が合法化されており、我が家の近所にもマリファナ屋さんがあります。通りを歩いていて、タバコ感覚でふかしている人はそこそこおり、独特の香ばしい香りを感じることはよくあります。どんな味なのかは存じませんが、匂いを嗅ぎ分けられるようになったことは、今後何かの場面で役立つスキルかもしれません。(そんなことないか)
相変わらず日本では芸能人が大麻で人生を狂わせているようですが、狂わせるくらいならアメリカに移住すればよいのではないかと思います。
州によっては大麻はOKだけど、酒は専門の店で厳重に管理された状態でしか買えない、というようなところもあります。お酒が好きな私は面食らいました。
大麻が人類にとって良いのか悪いのかは諸説あり、専門外なのでよくわかりませんが、人間失格と言わんばかりに徹底糾弾される日本の状況を傍観して、価値観というものの儚さ・脆さを感じられずにはいられません。

お金を払うことについて。
アメリカの商習慣は慣れないことが多いです。チップ、交渉、小切手などなど。
外食が高く、近所のスーパーは安かったので、家族もちの私はチップを払う機会はそれほど多くありませんでした。
アメリカは、お金を払えばたいがいのことはすぐに解決できる、という印象です。お金を節約したければ、よーく調査したり、交渉をしたりする必要があります。結構散財しましたが、どのくらい節約し得たのかはわかりません。ライフラインに直結するところは、日本語のわかるエージェントを活用することが多かったです。賃貸契約、医療保険(当初)、自動車保険など。
小切手は、家賃支払、医療保険支払、車の売買あたりで使いました。小切手を写真撮影すると入金できる銀行アプリを知って「なんて便利なんだ!」と思いましたが、直後にじゃあ最初から全部電子化すればいいじゃないかと思い直しました。キャッシュレス化は進んでいるのに、小切手レスにはまだなっていないようです。

この1年での出費項目ベストファイブは以下です。(生活費は除く)
1.家賃
2.医療保険
3.車
4.航空券(片道x2)
5.自動車保険

transferwiseというサービスで日本からお金を送金しましたが、この1年は為替が比較的安定していたのでよかったです。

仕事について。
世界的IT企業に務めている友人は、エンジニアやるなら日本よりゆるくて高収入だ、と言っていました。
ワシントン大学の教授を見ていると、やはりアメリカのアカデミアで成功するには、起業家並みに研究資金集めが上手でないとダメそうに見えました。
生活してみて、仕事を見つけること自体は日本人であっても(先述の「ようこそ」精神によって)なんとかなりそうな感じがしますが、職種によって貧富の差がかなり激しいと思います。
私はアメリカで1セントも収入を得ていないので、良くも悪くもドライだとよく言われるアメリカの仕事社会について、今回の滞在では詳しくわかりませんでした。自分がここで専門性を活かし職業的にサバイバルできるかどうか、見積もれません。
とりあえず日本に職があることに感謝し、日常に戻るのみです。

教育について。
最も我々がアメリカ社会と密接に関わったのは、子どもの教育を通じてでしょう。私どものような一時滞在者に対し、無料での公教育と、手厚い各種就学サポートをうけました。
もともと住む場所によって学区が決まるので、評判の良い学校のそばに陣取って生活をはじめましたが、教育委員会から基礎英語教育を重点的に行う特別学校(BOCといいます)への就学を勧められ、半信半疑ながらもそこに通わせることにしました。結果としては良い選択だったと思います。
スクールバスが時間通りに来ないことには、なかなか面食らいましたが。
長女はBOCの中学校に1年間、長男次女はBOCの小学校に9ヶ月間お世話になりました。いきなり現地学校に叩き込むのではなく、同じようなアメリカ入国ホヤホヤの国際色豊かなクラスメートとともに英語を基礎から学び、また数学や歴史なども学びました。もちろん友人もできました。
BOCなので、親もアメリカの教育制度についてよく分かっていないことに、先生方も慣れています。先生方とのやりとりを通じて、親もアメリカの教育をありかたを学ぶことができました。

長男次女は9ヶ月ののちBOCを修了し、残り3ヶ月なのに転校を余儀なくされます。かなり悩みましたが、最寄りの普通の現地学校ではなく、一日の半分を英語、もう半分を日本語で学ぶ近所のオプションスクール(特別な現地学校)であるJohn Stanford International Schoolに転校を申し込み、認められました。たまたま近所にそういう学校があったんです。人気校と聞いていたので、そもそもそこに滞在最初から就学を申し込むということに考えも至りませんでした。
この学校には日本語の先生や日本語を話せる学友もいます。英語を学ぶ上ではどうかな?と思ったのですが、残りの短い滞在での転校を親子ともにスムーズに進める意図でした。

思ったよりも、全体的に普通の現地校に近い雰囲気。
思ったよりも、日本語の授業は日本での授業に近い。日本語ネイティブの我が子たちは牽引役として活躍したようです。
思ったよりも、英語の授業は本格的でした。
思ったよりも、うちの近所に日系の家族は住んでいるとわかりました。放課後や休日に家族ぐるみで遊びに行ったり遊びに来たりできました。
親にとっては、学校とのやりとりが日本語でできるだけでだいぶ楽をさせてもらいました。

1年を通じて、うちの子供達は学校に行くことを嫌がりませんでした。素晴らしいことです。

私個人としては、英語や英語文化を学ぶ上で欠けていたピースが、学校とのやりとりを通じて埋まった感じがしました。たとえば実写・アニメ問わず洋画で学校生活のシーンが出てきた時、なるほど、あれだね、と思い到れるようになりました。
また、大人が会話するときも幼少のころの共通の経験というのは、しばしば話題に出てくるものです。多少はアメリカ人のそういう会話にもついていけるようになったかもしれません。遅刻チケットとか、サマーキャンプとか、スクールバスとか、廊下のロッカーとか。

家族の成長について。
一般論として、子どもたちは1年の滞在では英語ペラペラにはなれないと言われてました。たしかにそうでしたが、思ったよりは学んでいる、という印象です。聞き取りは結構できるようになってます。そして予想どおり、年少の子ほど文法はめちゃくちゃですが発音がとてもステキで、逆に年長の子ほど文法に興味を持ちました。一切日本語のない環境にいきなり放り込まれて、よくここまで来たなと思います。親ながら素晴らしいと思います。
帰国すると英語力は失われていくものだそうなので、オンライン英会話を続けたり、各種方策を講じていこうと思います。
そして英語力そのものの他に、海外で1年過ごしたという経験そのものや視野の広がりが、将来において自信や道標になるとよいと思います。

妻についても、近所の教会で開催している英会話教室を通じて英語力が向上し、人との交流の輪が広がりました。また、自然派の調理を得意とする妻ですが、雑多なアメリカの食文化の中でもオーブンを用いた豪快な肉の調理と、アメリカで進んでいるオーガニックやビーガン関連の食について、学ぶところがあったようです。とりあえず帰国したらコストコの会員になろうと思います。
夫妻とも、暇さえあればジムで運動していたので、肉とビールにまみれた生活でしたが、体はたるんでません!

全体論はここまで。次回、より個別で雑多なことを話します。




↑シアトルの日本語情報サイトJunglecityのポストカード。シアトルの名物がずらっと並んでいます。この1年で体験したものをチェックしていき、やや強引ではありますが全部コンプリートしました!(ただしヨガ率、カフェ率、ビール率かなり高め!)
https://www.junglecity.com/blog/i-love-seattle/

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